足踏みリンパマッサージとは・・・
お釈迦様の教え〜足の裏から光が出る〜
坂村 真民さんと言う人が書かれた
「尊いのは足の裏である」 という詩をご存じだろうか?
真民さんは、熱心な仏教徒でもあった。
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「尊いのは足の裏である」
尊いのは
頭でなく
手でなく
足の裏である
一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
頭から
光が出る
まだまだだめ
額から
光が出る
まだまだいかん
足の裏から
光が出る
そういう人こそ
本当に偉い人である
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熊本の玉名出身の、有名な「坂村真民」さんの詩である。
そう、足の裏にはすごいパワーがあるのだ。
昔々、お釈迦さまは
お坊さん達を、足で踏んで疲れを癒してあげていた。
お釈迦さまの足の裏には
たくさんのありがたい模様が描かれている。
また、「満足」という文字にも
「足」という字が使われている。
なぜ、人の心の状態を表すのに「足」という文字を用いるのか
不思議と思われたことはないだろうか?
私達は日常的に、満足している、とか
不足しているという表現をしている。
足りているとか、足らないといった事にも
「足」という漢字を使っている。
それほど足は
人の幸不幸の根源になっているということである。
一見、足は手に比べて
器用に動かないものと思われがちだが、
それはまったく誤った思い込みだ。
足は手となんら変わることなく、時には手以上に繊細に動き、
さらには体の声を深く、感じ取ることもできるのだ。
小さな足が大きな体を支えている。
足が弱ると内臓が弱り、やがては脳にも影響が現れる
と言われるほど、人間にとっては重要な存在だ。
人は足という偉大な存在によって生かされていることを
忘れないでいただきたい。
その足のパワーが満ち足りた時に、
本当の意味での満足感が得られるのではないだろうか?
人を踏むという偉大な叡智を用いて、
踏む人も踏まれる人も元気になり、満ち足りた空間が生まれ
最高のコミュニケーションにもなりうる。
その光景こそがまさに「満足」の真の姿なのである。
ご家族や、大切な人を癒してあげていただきたい。
尊いあなたの、足の裏を使って・・・