虚弱体質だった頃

虚弱体質だったころ

 

その昔、私は弱かった。

 

 

心身共に虚弱だった。

 

 

 

心臓が弱いとか、どこかに障害がある
というほどの深刻なものではなかったのだが
とにかく虚弱体質だった。

 

 

今でいう自律神経失調症とか不定愁訴とか
病名と言えないような良く分からないけれども

 

でもすごく体調が悪くなることが多かった。

 

 

 

病名が付いていたわけではなかったので
体育の授業などは普通に参加するのだけれども

 

でも、ついていけなかった。
皆と同じことはできなかった。

 

小学校のころ、体育の授業の
50メートル走なんて悲惨だった。
最後まで走る気力が続かないのだ。

 

そんな感じだったので、
マラソンなどは完走など出来るわけもなく
死に物狂いで走っても
すぐに息が切れて苦しくなるので止まってしまう

 

でも、けしてサボっていたのでも手を抜いていたのでもない。

 

本気で苦しいのだ。

 

死にそうに苦しかった。

 

 

体育の先生からは
「おまえは本気でやっているのか?」と、よく言われた。

 

 

はい、本気で精一杯やってます・・・

 

 

 

体育の教師とか、あんな元気の塊みたいな人から見たら
私は本当に根性無しのへなちょこにしか映らなかったのだろう。

 

私が本当に死にそうなくらい苦しいなどということは
絶対にわからないと思う。

 

あんな元気の塊みたいな人には・・・

 

 

 

自分がラクラク出来ることは
出来ない人は、何故できないのかと不思議に思う。

 

人間は得意なこと、不得意なことがあって
能力も様々で、体力もそれぞれで
みんな違って、みんないい!はずなのであるが

 

その時は、そんなことは誰も言ってくれなかった。

 

 

だから思った。
私は出来ない人の気持ちを解ってあげよう!と

 

 

 

不便だったのは、体育の授業だけではなかった。

 

感受性が強かったのだろうか、
それとも、気が弱かったためか
外に行くと、よく気分が悪くなった。

 

なので外でご飯が食べれなかった。
外食というものが出来ない。

 

学校の給食も食べれなかった。

 

 

昔、私たちのころは
給食は絶対に残さずに食べなければならなかった。

 

食べれない人は、休み時間も残された。
掃除の時間になってもまだ机の上には給食があった。

 

拷問である・・・

 

 

 

私は中学に上がった時にも
担任の先生が、男性の新卒のバリバリの熱血教師
しかも、体育の先生で よく給食のことで残された。

 

拷問である・・・

 

 

 

若くて面白くて、学校中の人気の先生だったため
友人からはうらやましがられたが

 

私は毎日が憂鬱で仕方がなかった

 

 

だいたい若い男の先生とかは(しかも熱血教師)
食欲が旺盛に決まっている。

 

自分はモリモリ食べれるのだから
食事がのどを通らない人の気持ちなど
解るわけがないと思う。

 

 

そんなこんなで、私が体育の教師拒否反応が出るのも
仕方のないことだ。ご理解いただけるだろうか。

 

 

ずいぶんと生きていくのに苦労のある幼少期を送った。
それで考えたのだ。

 

 

このままでは生きていきにくい・・・

 

 

 

何とかしなくてはこのさき生きていきにくいぞ!

 

という恐怖観念はいつもあったのだが

 

 

高校を卒業するあたりになって
本気で何とかしなくては、と思うようになった。

 

 

それで、「何とか」 しようと

 

何かを探し始めたのである。

 

 

何とかって言ったって、皆と同じ運動はできないし
チームでやる競技は人に迷惑をかけそうだし・・・

 

と、色々考えて
ふと思いついたのが「太極拳」というスポーツである。

 

 

太極拳はいいぞ!ゆっくりした動作だし、お年寄りもやってるし
これなら私にも出来るかも!とピンと来た。

 

 

それから、たまたま目についた新聞の広告欄にあった
中国武術研究会ってのがやってる
太極拳の講座に申し込んだのである。

 

 

陽先生という中国から来られた女の先生だった。
ここからが、私の中国武術とのご縁が始まるのである。